「百合の間の料理はまだですか!!」

「それより、菫の間の料理のほうがさきです!!」



夕日もすっかり姿を隠し、夜になる頃にこの店は最高の稼ぎ時がやってくる。
それに比例して庖厨の忙しさは凄まじくなる一方である。
毎日これなのだから誰しも慣れるものだ。

その店の中で一番忙しそうに動いているのはまだ十代後半にしか見えない少年だった。
少年は大きな鍋を自在に操り菜を作っていく。
菜を作る際の段取りのよさが彼にはあるのか、他の者よりも涼しげな表情で菜を作っていっている。
一品作り終わったのか盛り付けをはじめるが彼は最低限の動きでそれを終わらせて給仕の者に菜を渡す。



「菫の間と百合の間の前に、黄薔薇の間のお客様のほうが注文が早かったはずですよ」

「では、黄薔薇の間にお持ちいたします」



給仕が言葉を発している頃には、作り途中の菜に取り掛かっている。
他の者も少年に負けじと菜を作りあげていく。

昼から夜まで営業している店である。
昼は個室の営業は基本的にはなく、夜は待合となっている場所に椅子と机と並べて料理をだしている。

その店の副料理長が先ほどの少年――――だった。

夜の営業時間が終わり、一同がそれぞれの家に帰る頃は店に残っていた。
いや、残っていると言うのは御幣かもしれない。
彼はこの店に住んでいるのだ。

店自体に店員が住める住居区が狭いながらにあり、そこで寝起きしているのでの仕事場はそのまま住居なのだ。
そこそこ大きいがそこまで大きくないこの店にそんな住居区があるのは有名な話だった。



「明日は久しぶりの休みだな…」



はそう呟いてまだ出したままにしていた鍋を片付けた。
副料理長であるには休みはあってなき事だったので
久しぶりに丸々一日休みをもらえた時は何かの策略かと思ったものだ。



「明日は邵可様の御宅に行って皆に会えるといいな」



久しぶりの休みに心躍るだったが、
本当に久しぶりの休みが策略だったことに気付くのは明日邵可邸について数分後だった。







久しぶりの休みなのにも関わらず、はいつものように朝早い時間におき
いつものように仕込みをしていた。
その様子に周りの者が呆れて無理やりを追い出したのがお昼になる少し前。

お昼すぎに邵可邸に行こうとしていたとしては時間が余ってしまった。
どこかぶらぶらと市をみて歩いていると、前方からよく見たことのある軒がこちらに向かってきた。
はそれをみると、逃げようとするが
ここで逃げても軒の持ち主は自分を見つけ出すのが分かっていたので諦めて軒が止まるまで待った。



「お久しぶりです黎深様」



人当たりのいい笑顔を軒にのっている人物に向けると、何を怒ったのかわからないが扇が自分に向かって飛んできた。
その扇を難なく掴むと軒から声が聞こえてきた。



「お前が市にいるとは珍しい」

「いやいや、尚書様が公休日でもないのに市にいるのよりは一介の庖丁が市にいるほうが自然ですよ」



相手を馬鹿にしたように言う
だが、相手である黎深もの事を心底馬鹿にしている声色で話すので辺りの人は軒の周りをかなり離れて歩いていた。
明らかに辺りには異常な殺気が立ち込めていた。



「お前はいつもいつもいつも」



扇を思いっきり握り締めているのかギギギギという音が聞こえてくる。
1つはが持っているので予備まで持ってるのかと、は感心したように手元の扇をみた。



「今日は何か御用ですか?」

「貴様の敬語など気持ち悪い」

「今日の御用は?」

「兄上や秀麗はこいつのどこがいいのだ!!」

「御用は?」

「あぁあああああ兄上っ!!秀麗!!どうしてだぁぁあああああ!!」

「ですから………
 用事はなんなのですかと言ってるでしょう。黎深様早く言って下さい」



手に持っていた扇を一振りで開き顔の半分を隠しながらは微笑んだ。
隠れている笑いは呆れ半分、楽しさ3分、イラつき2分だった。







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